箕面にあるみそ部の畑。
この日は、大豆の世話に草刈りに水路整備。
僕はひたすら水路整備。
今年の大雨でだいぶ地盤が緩んだようで、何箇所も水路が崩れていました。
◎大地の再生。作業しては経過を見る。
3年前に、「大地の再生」に基づいてアスファルト沿いに溝を掘ったり穴を掘ったりして、水と空気の通り道を作ることを始めました。
気脈と水脈づくりは、1日でできるものではなく、やってみては経過を観察する、やってみては経過を観察する、を繰り返します。
ヨガや整体や自然療法のようだなと思います。
何かの処方を施して、変化を観察する。
それを繰り返す。
大地に対しても、身体に関しても、処方も大事ですが、観察し続けること、見て、感じて、理解を深めていくことはもっと大切。
ふむふむなるほどー、風はこっちから吹くのかー、じゃあ畝はこっちの方向だなー、とか、この畑の上に池があるのかー、だからここは湿っぽいんだなー、とか。
アスファルトの周辺は、人間でいうと化学繊維をまとっているような状態で、鬱血とか気滞が起こりやすい。
土でいうと、グライ化が起こっていることが多い。
アスファルトやコンクリートによって水や気が滞ったところで、いわば酸欠状態のようになっている状態をグライ化と呼びます。
その土を掘り起こして畝にすると、そのあととっても肥沃になったりもします。
今までは気が通ってなかっただけで、通したらとてもいい土になる、ということがあります。
大地の再生
・web
・facebook
◎イノシシ先輩の声を聞く
そして、その畝も、水路も、使い方を誤ると、イノシシからのダメ出しが来たりします。
さっきの写真の水路は、雨風だけでなく、イノシシの手によって掘り起こされてもいるようです。
彼らは、気がつまっているっぽいところから侵入してくるし、気がつまっているっぽいところを掘り起こしたりします。
彼らは僕らより、この土地をよく知っています。
彼らが侵入した場所を見ると「あー、確かにここはつまっていたね」となります。
「ここは今トマトじゃねーだろー」
とか
「まず窒素固定しろよー」
とイノシシに言われているような気分になったことが、今まで何回もあります。
トマトを植えた時なんて、まったく遠慮なしに全部の苗をひっくり返されました。
でもよく観察して、とても納得しました。
そして「あー、ここはまず豆科だったね」となって、エンドウを植えたら大豊作でした。
イノシシリスペクト。
イノシシはいわば、自然界のトラクターのような働きをすることがあります。
ミミズや微生物がいっぱいいて、豊かな土を、彼らも望んでいるのです。
だって、彼らの餌場でもあるわけですから。
イノシシが派手に土を掘り起こし、そのあとを、ミミズたちが行き来する。
もぐらたちが通っていく。
そうやって動物たちがコラボしている。
コラボしながら、それぞれがそれぞれの餌を採っている。
その仲間として僕たちがいる。
彼らのやっていること、ひとつひとつに意味がある。
耳を傾け、共感と理解を育てながら、自分を育てながら、作物を育てる。
彼らの餌場、僕らの餌場。
そんなことを思いながら、僕はひたすら水路整備と畝の建て直し。
三本鍬と平鍬を使ってひたすら泥かき。
「農作業」と一口にいっても、いろいろあります。
収穫、剪定、竹を切って支柱づくり、草刈り。
僕は畑に来ると、だいたい土木作業をします。
それが大好きです。
特に鍬を使うのが好き。
整体、身体術、てこの原理、重力、土と道具と自分の身体と、行為を持ってつながりなおす時間。
少しずつ泥の詰まりがとれて、水が流れ出すと、自分の中の何かも、同時に流れ出すような気がしてきます。
畑の周辺の水路がきれいになると、畑の中にいる、私たち人間も含めた生命たちが生き生きしてくるような気がしてきます。
◎水路とマコモとハッピーヒル
僕たちの掘った水路は、ただの水路ではなく、田んぼでもあります。
毎年、粘土団子の中にハッピーヒルを入れてまいています。
一昨年から、年越しみそづくり合宿で糀をつけるために、福岡正信さんが育てた種を継いでいると言われる「ハッピーヒル」という種類の米を育てています。
この種はとーーっても強くて、毎年、どんな過酷な状況になっても、何本かは必ず育ちます。
粘土団子、すごいっす。
みそ部員でもある、自給農法実践家の市川そうしさんいわく
「粘土団子やってたら、苗床を作る気がしなくなってきた。」
というくらい、粘土団子で蒔いた稲はすくすく育ちます。
さてクイズです。
↑
この写真の根っこ、なんの根っこでしょう。
少し、引きの写真を見てみましょう。
はい。
マコモです!
真菰です!
古い時代から、水質浄化に使われてきた植物。
お風呂に入れたら最高。
お茶にして飲んだら、人間の水路であるリンパ管をきれいにしてくれます。
2年前に、マコモについてのブックレットを作られた田中さんが直接畑に来てくれて、3本の真菰を植えてくださいました。
「出雲國 まこも風土記」
この根っこを見ていると、いかにも水をきれいにしそうですね。
現物を見ると納得するって、よくあることです。
マコモの葉っぱだけ見ていてもわからなかったことです。
根っこを見て、納得しました。
この根っこをあまりにも気に入ったので、一本は、家に持ち帰って、透明なガラス瓶に水を張って、そこにマコモを根ごと入れて、毎日観察しています。
大人の自由研究。
自由研究は、何歳になっても続けたいですね。
世界には、わからないものだらけ、出会ったことのないものだらけ、そして、新しい出会いの連続ですから、ひとつひとつ出会った命たちと、じっくり向き合っていきたいものです。
◎枯れゆくものの美しさ。種は未来。
では、これは、なんの種でしょう?
僕はこの、植物が種をつけて枯れた状態が、大大大好きです。
種から芽を出し、根を張り、葉を広げ、花を咲かせ、実をつけ、最後に種をつける。
命をやりきった姿。
生ききっている姿。
次世代のために、最後の力を使っている。
そして枯れてもいる。
枯れゆくことの美しさ。
その先端に宿る未来の命。
理屈抜きに、見るたびに感動します。
種のそばに集まる命たち。
この種は、人参さんの種。
たくさんのヒゲがついてます。
そして、動物がこの種のそばを通ると、種が毛にひっついてきます。
鹿が、ハクビシンが、人参の種を毛につけていく。
その種が、どこか遠くに落とされる。
そうやって、次世代をつないでいく人参。
種は未来。
◎元気に育つ大豆。枯れゆくトマト。
夏至の前後に蒔いた大豆は、すくすく育っています。
今年も丹波黒大豆をひたすらたくさん蒔きました。
昨年収穫した豆を蒔いたので、箕面2年目か3年目の豆ということになりますね。
さらに10年くらい種を継いだら、在来種とか呼ばれるのかしら。
10世代といったら、人間でいえば300年くらい?
300年同じ場所に暮らしたら、ジモティーって呼ばれるかしら。
他の生き物たちから見たら、まだまだ新参者かしら。
なにはともあれ、確かに大豆たち、この環境に適応してきたような気がします。
蒔いた豆は、育つものと、育たないものに分かれていきます。
育ったものを収穫します。
それを蒔いて、また、育つものと、育たないものに分かれて、育ったものを収穫しています。
そうやって自然に、「この環境にあった豆」が残っていきます。
水の様子、土の様子、天候。
そして、蒔いて世話する僕らの気質。
「この人たち、全然世話しないよ」
「草、ボーボーだよ」
それでも生きられる豆たちが居ます。
今年の豆たち、昨年より強い気がします。
そんな豆で作った味噌を食べたら、僕たちも強くなるのかしら。
収穫を逃す、ということはよくあります。
夏野菜は特にそう。
でも思います。
実りの一部は動物のため、あとは虫のため、あとは僕たちのため、あとは未来のため。
すべてを牛耳るのではなく、分かち合って生きている。
生態系は、人間がトップに君臨する食物連鎖では、できていない。
あの図はすごい刷り込み。
あれを信じてしまうと、人間社会もそういうものと思い込んでしまう。
違う違う。
そんな風に思い込んでいるのは、幻想を抱いているのは、人間だけでしょう。
それも、一部の人間。
私たちは何かを忘れ、何かを勘違いしている可能性が高い。
リアルに、動物や、虫や、水や、気や、種や、根や、花や、葉と付き合っていくことで、
ピラミッドではなく、円環のように、螺旋のように、ぐちゃぐちゃなカオスと美しいコスモスの混ざり合った世界の中で、共存、共生しているということが、少しずつわかっていくのかもしれません。
remember。
re-member。
ふたたび、メンバーになっていく。
メンバーであったということを、思い出していく。
土の上で味わう対等さ。
彼らの餌と僕らの餌が、本当は豊かにたわわに存在している。
感謝とお祝いとともに、土とともに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
冨貴工房
冨貴書房
メールマガジン「冨貴電報」