2016年7月17日日曜日

憲法論の多様性を愛する事


色んな人が色んな角度で憲法を語っている。

多様な角度からとらえた憲法論に触れていたいと思う。

歴史の中で憲法の存在意義も変わってきている。

十七条憲法と、大日本帝国憲法と、日本国憲法。

時代背景の違い、人々の意識の違い。

憲法を制定したことで有名な聖徳太子は、その後の政権争いで一家惨殺された。

スサノオノミコトは戦さの世を終わらせるために「草薙の誓約(うけい)」という非戦の誓いを言挙げたと言われている。

ヤマトタケルも同じ祈りを持って「草薙の剣」をおさめたと言われている。

太平洋戦争が終わって平和の誓いを立てた人達もいる。

何度誓っても破られる、非戦の願い。

・・・

武力を持たずに国を守るなんて、お花畑だ!
現実をわかってない!

そう言いたくなる気持ち、わかる。

理想を言ってるだけで、無責任だ!

と言いたくなる気持ちもわかる。

どれだけ自分たちが外交で苦労してきたか、
どれだけ武力によるプレッシャーを受けてきたか、
その中で日本人が戦争に直接加担しないようにどれだけ大変な渉外をしてきたか、あんたらはわかっているのか、
と言いたい気持ちもわかる。

日本が軍事侵攻されずに済んだのは、誰のおかげだ、
と言いたい気持ちもわかる。

わかるという言葉を軽々しく使いたくない、とも思う。

「もっとわかりたい」といったほうが正確か。

いろんなことがあっただろう。
苦労も、苦悩も、葛藤も、戸惑いも、スリルも、、、
いろんなことを体験してきたのだろう。

戦争体験だけでなく、戦後体験をもっと、肌で感じたいと思う。

理想だけ掲げて、その理想を現実にするための努力はせず、
理想から遠ざけている元凶と思しき人達や政党を、ただ責める。

これじゃ見下されても、馬鹿にされても、当然だ、と思う。

・・・

今、自民党の「憲法の田村」と呼ばれる田村重信の著書「改正・日本国憲法」を読んでいる。

自民党の悪いところだけを見つけていては、話し合いにはならない。

この道路も、この電線も、この水道も、誰が引いてくれたんだろう。

忘れてはいないだろうか。

自民党が進めてきた政策、彼らがやってきた仕事。
その何割が「有り難いこと」で何割が「やってほしくないこと」だろう。

僕は半分以上の仕事は「有り難いこと」だと思っている。

ほとんど、と言ってもいいかもしれない。

任せっきりにしてたのに、突然やってきてディスる。

これは礼儀に反するなと思う。

そんなこんなを思う気持ちがどんどん強まり、彼らの考えを、彼らが感じていることを、彼らの言葉で読むことをしたいなという気持ちが生まれて、そうしている。

なんで武力が必要と思うのか。

自分たちだけが非戦を掲げても、まわりの国々が好戦的では、やられてしまうんだ、という現実認識もあったりする。

実際田村さんはそういうことを書いている。

チベットの例を挙げたりして。

僕はアメリカインディアンの歴史やアボリジニーの歴史やアイヌの歴史を思った。
彼らの中にも武器を持つものはいた。
しかし、その中に武器を持たぬ者たちが、武器を持つものに駆逐されていく歴史が存在することも事実。

そして、それらの歴史を真摯に受け止めた上で、どうしたらいいかを考える。

そのうえでの結論の1つが武力を持つ事だったりするんだろう。

・・・

僕はこの結論に待ったをかけたい。

今までの歴史や政治、経済のリアルをちゃんと学び、受け止め、当事者として生きることを実践しながら、
それらに対して無責任であった自分を改めながら、
途方もない理想を、掲げ続けていきたい。

相手がナイフを突きつけてきても、核弾頭を向けてきても、丸腰でいたい。

ただ、その覚悟を持って生きているかといえば、私たち平和を願う人達は、まだまだ「口だけ」だと思ったりもする。

奪い合い、殺し合いに対して、まだまだ鈍感だし、まだまだ当事者性が足りない。

そして、そんな途方もない、現実離れした理想の未来を描きながら、その理想を現実にするための努力をしていない。

だから信じてもらえない。

・・・

アメリカ政府からのプレッシャー、
日本を仮想敵国とした戦勝国連合からのプレッシャー、
外国籍の巨大な財閥、資本家、王家からのプレッシャー、
それらのすべてと対峙することを、私たちは任せきりにしてきたのではないかな?

よく植民地にならなかったな、と思う。
政治家たちも頑張ったし、官僚たちも頑張ったし、
世界が驚くほどの経済発展を遂げたことも、日本の地位を保つ事に対して大きく貢献した。
だから、経団連や官僚や政権与党が力を持つのは当然だとも思う。
それだけの事をやってきたら、力もつくだろう。

そして、、彼らの言葉の背後に「嘆き」や「孤立」を感じることも少なくない。

それは、そういった様々なことを任せきりにされて久しい事に対する、口だけの民主主義に対する、落胆、諦めとも言えるようなもの。

大体、自民党は1955年の結党当時から憲法改正を党是として掲げ続けている。

そのような政党に政治を任せ続けてきて何を今更、と言われても仕方ないな、とも思う。

戦後、世界中を旅してきた日本人は、憲法9条を語り、原爆の悲惨さを語り、武器を持つ事の恐ろしさを語り、武力に頼らない世界を作ろうと呼びかけるような、「市民外交」のような事をしてきたのだろうか。

自民党や官僚や経団連が行ってきた外交に頼ることなく、自分たちの言葉で、自分たちのセンスで、平和外交をしてきたのだろうか。

むしろ、戦争や搾取や差別によって成り立つビジネスを黙認してきてはいなかっただろうか。

国際平和を実現する当事者であろう、という憲法前文に書かれた誓いを、形にしてきたのだろうか。

・・・

護憲なんて笑わせるな。
現実的じゃない。

と言われても仕方ないな、と思った。

戦争に加担しない衣食住。

争いをなくしていくようなライフスタイルの実践。

「いつかはそんな暮らしをしたい」
と言いながら、その理想を今現実にすることを諦めているような暮らし方。

それでは信じてもらえないだろう。

辿りつけないかもしれないけど、それでも諦めずに理想に向かって生きていく。

三宅洋平が外務大臣をやりたいと言ったのは、
日本だけでなく、他国に対しても『武器を手放そう』と伝えて回るつもりなんだろうと思った。そこまでの覚悟を持っての意見だろうと思った。

そんなの無理だ、という人もいる。

しかし、その未来に向かって生きるのは自由。

今、憲法の是非を問われているようで、私たちの生き方そのものを問われている。

恐れや不安やあきらめを越えて。

人任せな気持ちを越えて。

昔々から、細々とでも途絶えることなく、平和への祈りが捧げられ続けてきた。

「必ずたどり着く」

平和への祈りが、今も響いている。