命と核と味噌汁


※冨貴書房ブックレット02「命と核と味噌汁(仮題)」は2018年7月発行予定です。
※ブックレット発行についての情報は、以下から始まる本文の最後にあります。
※以下に掲載している本文は執筆中のもので、随時更新されます。


命と核と味噌汁

冨田貴史



(version : 2018/5/23)

















はじめに

僕がこの本で伝えたいことは、放射能と向き合う生き方についてのこと。

僕は放射能との向き合い方、付き合い方について、答を持っているわけではありません。

僕が大事にしたいと思っていることは、専門家かどうかに関わらず、ひとりひとりが自分の心の中から湧いてくる問いと向き合っていくということ。

そして、そのやりとりの総和が社会を作っているということ。

僕は、自分が被ばくしているという実感があります。

そして、体が蝕まれていくことに対して、恐怖も不安も持っています。

だからこそ、その事実に対して見て見ぬふりは出来ないと思っています。

もちろん僕は、放射能に対する感度は人それぞれだということを知っています。

そして僕は、それでいいと思っています。

感じ方は人それぞれ。

感じたことに対して、どう応じていくかの態度を決めるのも、それぞれの自由。

問いが生まれる人もいれば、生まれない人もいる。

そのうえで、僕の中には明確な問いがあります。

「被ばくによる影響を、どうやって減らしていけるのか」

この問いと、向き合い続けていきたいと思います。

そして、その問答を続けるだけでなく、その問答の中から浮かんでくる願いや希望を元にして、新しい未来を自分たちで創っていきたい。

その未来は、被ばくのない未来。

被ばくによって悩むこと、苦しむこと、痛むことのない世界。

「被ばくによる苦しみがなくなる未来を、どのようにして創っていけるのか」

この問いを持ち続けたい、この問いに対して応じ続けたい、と強く思っています。


生まれた時から存在している核、原発、放射能。

望むと望まないとに関わらず、自分自身の人生と深く結びついてしまっている、地球で共に生きる共生存在でもあるウラニウム、ストロンチウム、セシウム、、。

これら微小鉱物と自分自身との関係性に対して、自分なりの態度を、自分で決めていくこと。

誰のせいにするでもなく、誰の答にすがるでもなく、私と放射能との関係に対して責任をもっていくこと。

放射能と自分との、サシの対話の中で生まれる「自分の中から産まれ出る問い」と「自分の中から産まれ出る反応」に対して、正直で、まっすぐで、純粋でありたい。
そのような思いから、一冊の本を紡ぐ事にしました。

僕が初めて放射能、被ばく、についてブックレットを創ったのは2006年。

タイトルは「わたしにつながるいのちのために」


その後も、何冊か、自主出版で本を作ってきました。

しかし2011年の福島第一原発事故以来、自分の言葉を元にして、このテーマについて本を書くことが出来なくなってしまいました。

そのようになった原因のすべてを、今の僕はまだはっきりと認識しきれていません。

それでも見えている思いは、落ち込み、落胆、自分に対する疑い、後悔、罪悪感、などです。

放射能や被ばくのことを知っていながら、事故を止める事ができなかったこと。

事故が起きた後のことを想定できていなかったこと。

あまりにも無力だった自分へのジャッジ、批判、攻撃と、それによるダメージなどが、うごめいています。

しかし今、それを乗り越えるモチベーションが、ようやく復活してきました。

どんな自分であれ、やれることをやりたいし、やりたいことをやりきりたい。

そう思うようになった原動力のひとつは、福島県内に暮らす人たちや、放射能から子どもを守りたいと願う父母達との交流と、そこから湧き上がってきた思いと、自分の中で再び育ってきた覚悟と願いなのかな、と思っています。

そしてもう一つ。

自分自身が子どもを授かったことも大きいでしょう。

自分の子供を、自分たちだけで育てる事はできないという実感が、明確に生まれました。

子どもは、みんなのもの。

子どもたちを支えるコミュニティ、子どもを生み、守る父母を支え、守るコミュニティ。

放射能に対して向き合う答がないとしても、今まで向き合ってきた中で分かってきたことを、ちゃんと伝えたい、皆で学びを交換しあいたい、という思いが今まで以上にはっきり浮かび上がっています。

僕達の未来は、子どもたちが決めるもの。

子どもたちが未来を自由に思い描いていけるよう、僕達の世代が生み出し支えてきた放射能と、しっかり向き合っていきたいと思います。




世界のすべての場所から被ばくによる苦しみがなくなりますように

2011年3月から始まって今も続いている福島第一原発事故が起こった当初、心にもっと大きく残ったのは「自分にはこの準備が出来ていなかった」という事だった。

僕は2003年くらいから、ウラン採掘の現場で作業員や住民が被ばくしていること、ウラン燃料の加工、輸送の現場で、原子炉を動かす現場で、再処理や高速増殖炉の運転の現場で、核廃棄物処理の現場で、被ばく者を生んでいることを知っていた。

広島で、長崎で、マーシャル諸島で、ビキニ環礁で、カザフスタンで、ネバダ砂漠で、大気圏核実験や原爆投下の現場で、たくさんの被ばく者を生んでいることを知っていた。

チェルノブイリ原発事故が起きた後、周辺住民を移住させたり、移住が出来ない住民を定期的に汚染地域から離れた土地に招く「転地療法」や「疎開保養」という取り組みがあったことも知っていた。

これら放射能汚染地域で、被ばくを自覚する人達や、彼らを支援したいという意志を持つ人たちが、食事療法や代替医療、民間療法を使って、免疫力を高めたり、放射線による身体へのダメージを修復したり、放射性物質を排出するための具体的な実践を続けている事も知っていた。

それにも関わらず僕は、おそらく身の回りで汚染事故が起こる事への恐れからだろう、このような事故が起こることへの想定も、起こった時の為の準備も、出来ていなかった。

ごく身近な福島で原発事故が起こった時に抱いた後悔や自責の念を、生涯忘れる事はないだろう。

未来に何が起こるかは、本当にわからない。

「こうなってほしい」
「こうなってほしくない」

そういった願いや祈りが消えることはないだろう。

しかし同時に、未来にどんな世界が立ち上がってきたとしても、その世界の当事者として、願いや祈りが現実になるプロセスを人任せにすることなく、自分自身が希望を現実にしていく当事者として生きていくことを、改めて、身にしみて、強く思っている。

あの時の悲しみは、たぶん生涯消えることはない。

誰かが消してくれることもないだろう。

そして、あの時に生まれた強い感情の渦の中に、新しい未来、新しい世界に向かって自分を押し出していく、希望を実践していくためのエネルギーが生まれた、その事を大切にしていたい。

あの時生まれた希望の火を、実践を通じて絶やさないでいるひとりでありたい。

世界のすべての場所から被ばくによる苦しみがなくなる未来。

そのような世界を創っていく創造者の一人でありたい。

その世界が目の前に立ち現れるまでの道を作る一人でありたい。

そのような世界に必ずたどり着くと信じ切るヴィジョンキーパーの一人であり続けたい。

そのような願いを込めて、この本を贈ります。



ウラン採掘から始まる被ばく

1945年、アメリカ合衆国ニューメキシコ州で、世界で最初の大気圏核実験が行われた。

しかし僕は、「大気圏核実験」という言葉に違和感を覚えている。

この出来事は「実験」で、広島と長崎で起こった出来事は「原爆投下」で、その後2300回以上行われた出来事は「実験」とされていることに、大きな違和感を覚えている。

「日本は唯一の被爆国」と認識されていること、そのような認識の影響で、私たち日本人が世界にあまた存在する被ばく者たちの連帯の輪の中で孤立しているような気がしている。

そして、この孤立は危険だと思っている。

お互いの抱えている悲しみや痛みに寄り添い合うこと、そのために繋がり合うこと、そして、このような事が二度と起こらないように、核兵器と放射能汚染のない世界を現実のものにしていくために、孤立を促す意識や認識に変化を起こしていくところから、被ばくのない世界を作っていく道を始めていきたいと思っている。

広島、長崎での原爆投下から9年後の1954年に、太平洋のマーシャル諸島、ビキニ環礁沖で核爆弾が投下された。

この計画を事前に知らされていなかった周辺住民や、海に出ていた漁師たちは、新たな被ばく者となった。

この時の被ばく者のひとり、「第五福竜丸」の無線長・久保山愛吉さんは「被害者は私を最後にしてほしい」という言葉を残して息を引き取った。

そしてこの世界は、今も新たな被ばく者を生み出し続けている。

最初の原爆投下から70年経った今も、原爆の後遺症に苦しむ声は後を絶たない。

原子力発電や核兵器の製造のために使われるウラン鉱石を採掘するため、オーストラリアやアメリカ、インドやアフリカなどのウラン鉱山では、ウラン残土や放射性廃液による被ばくによって、ガンや白血病、死産や流産が多発している。

そして、世界各地に存在する原子力発電所や再処理工場、核燃料製造や運搬の現場において、トラブルや事故が相次ぎ、今もあたらしい被ばく労働者が生まれ続けている。

また、採掘されたウランを加工する際に生まれる 「劣化ウラン」という放射能を帯びた鉱物から作られた「劣化ウラン弾」も、放射能による被害をもたらしている。

湾岸戦争時に300トン~400トン、 アフガニスタンでは500~1000トン、 アメリカによるイラク侵略の時には800~2000トンの「劣化ウラン弾」が使用されている。

大気中で炸裂した「劣化ウラン弾」は、 タバコの煙よりも細かくなったウラン粒子となって振りまかれ、口や鼻や傷口から体内に取り込まれ、その土地にいる人たちを敵味方関係なく被ばくさせている。 

ウランが運ばれ、使われているあらゆる場所において、今この瞬間も被ばくで苦しむ人びとの姿が存在している。

そのような歴史の中で、いまだに各国政府や原子力推進の関係者たちは、「放射能とこれらの病気に関連性は認められない」という発表を続けている。

しかし、実際に病気や疾患、免疫力低下や、妊娠・出産時におけるトラブルに苦しんでいる人びとがいることも事実。

そして、そのような症例が増える地域で暮らす少なからずの人たちが「いつか自分も、何らかの形で発症・発病するかも知れない」という不安を抱えている。

核関連施設で働く人々の中には、いつ被ばくするか分からないという不安、いつ健康障害が現れるか分からないという恐怖と共にある人びとがいる。

そして、原子力発電と核兵器保有を続けているかぎり、このような状況が続いていくだろう。

このような事実を、何らかの思い込みによって見ないようにもできるし、直視することもできる。

世界のすべてはつながっているということを認めた後に、必ずやってくるのは、世界のどこかに、このような悩みや苦しみや痛みが存在するということを知るという現実。

そのような感覚を、ネガティブ、と括って見ないようにすることで、福島第一原発事故のような出来事が起こった時に、慌てふためき無力感に苛まれるようなことがあるなら、今、避けがたく感じてしまう世界のどこかにある悩みや苦しみや痛みを、我がものとして受け止め、真っ向から向き合っていく態度を、自分のものにしていきたいと思う。



世界の中のわたしたち

インド国内で最大のウラン鉱山があるジャドゥゴダ。

この土地の先住民達は、 放射能の危険性を告げられずにウラン採掘作業に雇われてきた。

そして元労働者の多くが、ガンや白血病などの健康障害に苦しんでいるという。

また、その土地に放置された核廃棄物が粉塵になって大気を舞い、放射性物質の混じった排水が飲み水に混入し、 彼らだけでなく周辺の住民の多くが、 皮膚病や各種の癌、死産、流産を体験しているという。 

特に胎児は放射能の影響を受けやすく、 先天性障害を持った子どもの出産や死産、流産が頻繁に起こっているという。 

ウラン鉱山のあるアメリカ、 オーストラリアにおいても、同じような状況が起こっている。

以下は、インドのジャドゥゴダに暮らす、ある女性の言葉。
「私は最初、村の女性が死産を体験し続けるのは、悪霊のせいだと思っていました。しかし、そうではなかったのですね。それが放射能の影響だと、あとから知りました。」

彼らは、放射能の危険性を告げられることなく、その影響下にさらされ続けていた。

ネットも電話もない土地で、人知れず被ばく者を生み出している現実がある。

一方、日本に生きる僕達は、放射能による人体に及ぼす影響についても、それらの影響を軽減する対策についても、ある程度のデータ、経験の蓄積としての情報にアクセスすることが可能。

私たちが「日本は唯一の被ばく国」という意識を外していくことで、彼らの代わりに私たちに出来ることがある。

電話やメール、映像や本など、様々な方法を使って、現実を知らせ合うこと。
命を守るための実践、試行錯誤の様を伝えあうこと。

みなで考え、話し合い、行動していくこと。

暮らしを見直し、核兵器や原発に依存する社会を見直すこと。

被ばくについての現実を知り、私たち自身の命を守ろうとすることの先に、世界中で被ばくに苦しむ仲間たちを救う道がつながっているということを知ること。

私たちが目の前の被ばくと向き合うことが、世界に広がる被ばく者たちと連帯し、被ばくのない世界を作っていこうと願う世界中の仲間たちと手を取り合う未来につながっていく第一歩であることを、忘れずにいたい。



あらためて、被ばくについて

被ばくには、外部被ばくと内部被曝ばくという2種類の被ばくがある。

広島長崎に投下されたウラン爆弾やプルトニウム爆弾などによって、爆発と同時に放射された大量の放射線が体外から身体を貫通する事で内臓や諸臓器が障害を受けたり、皮膚に付着した放射線により障害を受けるのが、外部被ばく。

そして、現在も世界中で増え続けている、ウラン鉱山、原子力発電所、再処理工場などの核施設、劣化ウラン弾などの影響によって産み出されているのが、内部被ばく。

この内部被ばくは、チリやホコリや灰、雨や地下水などに混ざって空中や水中に浮遊したり、食物に含まれている放射性物質を体内に取り込んで、体内から放射線を受ける被ばく。

内部被ばくによって体内に取り込まれた放射性物質は、じわじわと内側から細胞内のDNAを破壊したり、血中の分子構造に変異を起こしたりして、健康状態に変化を起こすと言われている。

1986年に炉心爆発事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所の周辺では、事故の10年後以降に、子どもの白血病発症率がピークを迎えた。

そして白血病患者の数は、20年以上経った今も、増え続けている。

育ち盛りの子供、幼児、胎児の細胞分裂のスピードは大人よりも速く、被ばくによって細胞が傷つけられた場合、その影響も大人よりも大きくなる。

同じ量の放射能を取り入れた場合、子どもの場合は大人の10倍、胎児の場合は大人の100倍の被害を受けると言われている。

また、受精が行なわれて着床した段階で放射線を浴びると、細胞分裂が起こる初期段階である胚が死んでしまいます。

受精後815週間の、脳が出来てくる時期に被ばくすると、非常に少ない量の放射線を浴びても脳障害が出たり、死産・早産・流産になることが多く、新生児死亡、先天性の白血病、ガンが発症するケースも多く見られる。


そして、妊娠中に被ばくしなかったとしても、男女のどちらかのDNAがすでに傷つけられて、その後に妊娠した場合、その被ばくの影響は子どもに及ぶ場合がある。

大量の劣化ウラン弾を使用した湾岸戦争では、兵士の多くが大気を舞う放射能を帯びた粉塵を吸い込み、帰還兵の子供たちに先天性異常が見られるというケースがいまだに増え続けている。

また、放射能の被害は「距離の二乗に反比例」する。

例えば1メートル離れた場所から放射能を浴びた場合と、体内の細胞表面、0.1ミリの距離から撃たれた場合では、距離(1万分の1メートル)の二乗に反比例して、その影響は1億倍になる。

ウラン採掘以降に作られる人工放射能は、食物連鎖を通じて、濃縮されていく。

生体組織は、放射性物質が細胞を破壊するものだとは知らずに栄養と勘違いして体内に貯め込んでいく。

これを生体濃縮という。

濃縮された放射性物質はたとえば、微生物から小魚へ、さらに大きな魚へと濃縮を繰り返し、最終的に人体に取り込まれる時には、ものによっては数万倍濃縮されている場合もある。

ウラン採掘、ウラン濃縮、発電、再処理、廃棄物処分、原子力発電を行なうためのすべてのプロセスで、振りまかれる放射性物質。

それぞれの過程で放出される放射性物質の量には、当然違いがある。

その量を根拠に、原発や核施設の安全性を訴える向きもある。

しかし、その量の多少に関わらず、人工放射能が細胞を破壊するものであることも事実。

核兵器や原子力発電によって苦しむ人間が少なからず存在するという事実も、紛れもないもの。

子どもを宿しても素直に喜べない女性がいること、自分が被ばくしているんじゃないか、いつか発症するんじゃないかという不安を抱えて働いている労働者がいること。

これらの事実を目の前にした時に、割り出されたデータが安心の為の材料になるわけではいということ、放射性物質の摂取量に「安全値」といえるものはないということを大事にしたいという思いが強くなる。

放射性物質をどれくらいばら撒いていいのか、どれくらい摂取していいのか、その基準値を設ける事そのものを否定したいとは思わない。

しかし同時に目を向けたいのは、1粒も放射性物質を摂りたくないという思い、1粒放射性物質を取り込んだだけでもダメージを受ける可能性があるという事実、そのような現実と向き合うひとりひとりの多様な心、その奥にある命の尊さを思う気持ち。

原子力発電を推進していく限り、その影で苦しむ人がいるという事実を、きちんと直視していきたいと思う。

自分の命を守るのは自分自身の生きる意志。

そして、その意志を支え合うあたたかいつながり。

それぞれの思いに寄り添い合う共感の輪。

私たちの日常にじわじわと近づいてきている被ばくの実態、そこに目を向け、自分の心で感じ、自分の意志で行動し、自分の命を自分で守ろうとする思いの大切さを思うと共に、やりたいけれど出来ない、という人の気持ちに寄り添えるつながりの大切さを思う。




命を守る主体

政府は、行政機関は、企業は、私たちの命を守る主体になりえるのか。

例えば近年中に起こるといわれている東海地震と、その地震の予測震源地の真上にある浜岡原発は、その危険性を訴える多くの声をよそに、2011年まで運転を続けていた。

東海地震がもし起こったら、震災による被害に原発事故が重なる可能性が高いと多くの研究家達が声をあげていた。

もしこの原発が運転中に地震が起きたらどうなるのか。

地震が起きたら住民は屋外退避を求められていた。

原発事故が起きたら住民は屋内退避を求められていた。

その両方が起きたら、という指摘に対して、静岡県も、御前崎市も、中部電力も、「地震と原発事故が同時に起こる事はありえないので対策はない。」とはっきり答えていた。

どの情報が正しいのか、その答えは地震が起こってみないと分からない。

しかし、自分の命を守るための方策を人任せにして、あとは何かが起こってから対策する、というスタンスでは手遅れになるということを、この事例は示している。

自分自身で情報を集め、みなと話し合い、自分たちで考えて対策を練らないと、行政は命を守ってくれない、ということを、身にしみて感じる。

自分たちの目の前に広がる未来に対して、自らの目を向けて、歴史から学んで、様々な情報に目を向けて、自分の心と頭を使って、身の回りの仲間たちと思いや考えや情報の交換をしていくことの大切さを思う。






ウランの行方

ウラン鉱山から掘り起こされたウランを使用する原子力発電。

原子力発電により発生した使用済み燃料は、どこにいくのだろうか。

2006年3月31日から、青森県六ヶ所村に建設された使用済み核燃料の再処理工場が、アクティブ試験を始めた。

アクティブ試験とは、実際に原子力発電により生まれた使用済み核燃料を使って、プルトニウムを取り出す作業を実際に行うもの。

その作業の過程で、原子力発電所の数百倍の量の放射性物質を海や大気に排出し続けている。

イギリスのセラフィールドに位置するソープ再処理工場では、周辺海域に重大な汚染が広がり、放射能漏れ事故が相次ぎ、現在は運転を停止している。

そしてセラフィールド周辺では、子供たちの白血病発生率も上がっている。

そして六ヶ所村再処理工場では、運転開始早々に、放射能漏れや作業員の被ばく事故が相次いだ。

六ヶ所村では、20年以上も前から住民の核施設誘致反対の運動が続いていた。

しかし、彼らの声もむなしく村にはウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物処分場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理施設、使用済み核燃料の再処理工場などが、次々と建設されていった。

そこには、深刻な過疎化や景気の落ち込みが続く中で、危険にさらされながらも核施設で労働せざるをえない住民の姿がある。

長年の反対運動の末に疲れ切った住民の姿もある。

放射能の恐怖におびえる周辺住民の不安、声を上げても聞き届けられない無力感、同じ日本に住む仲間たちにすら知られていないという孤独。

私たちに今問われているのは、このような出来事が同じ日本で起こっていること、同じような出来事が世界中で起こっていること、被ばくの螺旋が自分たちの生活と密接につながっているということへの想像力、放射能に対して思うひとりひとりの心に思いをはせる想像力ではないだろうか。

岐阜県の瑞浪市では、高レベル放射性廃棄物の処分の方法を検討するための調査が行なわれている、超深地層研究所がある。

研究所受け入れ反対の声も届かず、地下1000メートルの深さに4万本の廃棄物を埋め立てようという計画に乗っ取ったボーリング調査が、今も続いている。

研究所の建設から、現在の調査までの過程の中では、情報開示の不徹底やトラブルの隠蔽などが相次ぎ、周辺の住民の不安をあおっている。

私たちが原子力発電に依存を続けるかぎり、そこで発生する廃棄物をどうしたらいいのかという問題はつきまとい続けることになる。

地下に埋められた放射性物質が、いつ地中で放射能漏れを起こすか分からない。

放射能が地表に染み出す可能性や、地下水に混入する可能性を何十万年にも渡って保証することなど出来るのだろうか。

放射線を何万年にも渡って放ち続ける高レベル放射性廃棄物が、自分たちの暮らす大地の下に埋められるとしたら、果たして私たちは安心して暮らしていけるのだろうか。

将来の地球で暮らす子孫たちを、そのような危険にさらすことを、出来るのだろうか。

瑞浪で行われている出来事は、この土地に暮らす人たちだけのものではなく、私たちひとりひとりの目の前にある現実。







放射能の過去、今、未来をつなぎなおす

ネイティブアメリカンの社会では大切なものごとを決めるときは、7世代先の子孫のためになるかどうかを基準に決断を下すという。

実際私たちが今こうやって地球上に暮らしていられるのは、先祖の方々が未来を思ってきたおかげ。

そのつながりをここで断ち切ってしまうことは、私たち自身の存在を否定することにもつながる。

私たちの子孫が暮らす世の中は、私たちが創るもの。

2003年12月、放射能による被害を食い止めるために世界中から集まった人々が、オーストラリア最大のウラン鉱山から長崎の爆心地を目指し、8ヶ月間歩き続ける国際平和巡礼を行なった。

彼らの行動は、ウラン鉱山や原子力発電所、再処理工場、広島、長崎などで放射能の被害や、原発推進派による不当な対応に苦しむ現地の人々を勇気づけた。

巡礼の途中、一行は1999年9月30日に臨界事故を引き起こしたJCO核施設を擁する、茨城県東海村を訪ねた。

東海村の住民の中には、被ばくによる身体障害だけでなく、自分はいつ発症するんだろうという不安を抱えて、PTSD(心的外傷後ストレス精神障害)に見舞われている方も多いという。

巡礼の一行は東海村の願船寺を訪ね、オーストラリアから巡礼に参加したある男性が住職に向かって涙ながらに語った。
「私たちが、オーストラリアから日本へのウラン輸出を食い止めることが出来たら、このような悲劇が起こらなくて済んだのです。」

そして住職は答えた。
「世界の被ばく者は孤独です。その孤独に寄り添ってくれる方々がいるという事に心から感謝します。」

仲間の孤独を癒すことは、自分自身の心を癒すことにもつながる。

関心を持つこと、知ることは、自分自身の命を救うだけでなく、遠く離れた土地に暮らす仲間を救うことにもなる。

そして、無知や無関心は、自分自身の生命を脅かすだけでなく、このような孤独や不安を放置する事にもなる。

私たちのいのちは、分ちがたくつながっている。

「つながっている」という実感は、孤独や不安を癒し、安心感を産み出す。 

今、私たちの生活の目の前にまで放射能は届いてきている。 

インドのジャドゥゴダで、 放射能の影響で片足のまま産まれてきた女の子は どんな想いで日々を過ごしているのだろう。 

六ヶ所村で暮らす住民の不安はどのようなものなのだろう。

どんなに反対の声を上げても聞いてもらえない、 メディアも取り上げてくれない、同じ日本に暮らす人たちにすら知ってもらえない、その寂しさは、どのようなものだろう。

彼らの抱える苦しみ、そしてメッセージに対して、私たちはどのような答えを返せばいいのだろう。

電気はどこから来ているのか。

水はどこから来ていているのか。

食べ物はどこから来ていているのか。

私たちの日常は世界とどうつながっているのか。

命と命はどのようにつながっているのか。

心と心はどのようにつながっているのか。

そのひとつひとつに気づき実感していくことは、自分自身がどのようにして生かされているかを知ることにつながる。

核、放射能という目に見えないものを通じて、私たちは「目に見えないつながり」を観る目を養うことを求められているように思えてならない。

原発に依存しない社会、誰かを不平等な形で苦しめたり、一部の負担を一部が背負い込むことのない社会、そして、すべての者が幸せになれる社会のために、ひとりずつにひとり分ずつ、出来る事があるように思う。

そして何かを始めると、同じ想いを持つ仲間とつながっていく。

ひとりずつのひとり分の行動、そのひとつひとつの行動は、仲間と仲間をつなぎ、 私たちの心に巣食う不安や諦めや、無力感を癒すように思う。 

自分の心で感じて、自分の頭で考えて、自分で動いてく。

主体的な個人同士が集まって、それぞれの家庭や地域、社会を創っていく。

思いと思いの輪が育ち、輪と輪がつながり、いつかその輪が世界をひとつにつないでいく。

ウランの鉱脈が発見されたおかげで暮らしていた場所を追いやられ、ウランの危険性を教えられずに採掘作業に従事し、肺がんや白血病を患っている先住民たちの姿。 

被ばくするかもしれない、いつか病気が発症するかもしれないと不安を抱えながら働く原発労働者たちの姿。 

世界のどこかに生きる誰かを思う心の輪の広がりは、私たち自身の孤独や不安を癒すことが出来ると思う。 

そして、不安は希望に、無力感は勇気に変換されていくのだと思う。 

そのエネルギーは、いつか再処理工場の運転を止めるかもしれない。 

地震を防ぐことはできなくても、 人災を止めることは出来るかもしれない。 

小さなつながりの輪がひとつの現実を換えることが出来たら、 その奇跡は、世界へと広がっていくかもしれない。 

日本の電力会社がウランを購入しなくなる未来を創れるかもしれない。 

インドやオーストラリアに住む兄弟たちの苦悩を救うことができるかもしれない。 

ひとつひとつの歩みが、輪の広がりが、いつか地球のすべての仲間をつなぐことができるかもしれない。

すべては、いまだに実現していない夢の出来事。

しかし同時に、未来は夢を元に創られるもの。

大地とともに自然の教えに忠実に生きるインディアンは、自分達を傷つけるもの達のためにさえ祈り続けるという。

すべての命が大地とつながっていること、人類のすべてが同じ大地に生きる兄弟であるということを感じながら、世界のすべての場所から被ばくによる苦しみがなくなる世界を願うことは、私達にもできること。

自分とつながっている命に対する敬意、思いやり。

自分の命を取り巻くものへの想像力。 

放射能という目に見えないものに目を向けることが、命と命の目に見えないつながりそのものに目を向けていくきっかけになっていく。

今この瞬間も、私の知らないところで、たくさんの生命が生まれては消え、それぞれの生命の営みの輪によって私たちは生きている。

被ばくという現実に向き合っていく中での出会いのひとつひとつ、ひとりひとりの仲間の願い、祈り、信念、真剣さ、努力、そこで生まれる語らいや行動、経験、日々の積み重ね、自分の中に生まれる気づきや学び、少しずつ見えてくる自分自身と世界とのつながり。

それらひとつひとつから、たくさんの気づきと学びをもらう日々の中で、世界と自分が分ちがたくつながっていること、自分自身を変えていくことが未来を創ることになるということ、自分の心身を助けていくことが、助けたいと思う仲間を本当に助けられる自分になることにつながるということに気づかせてくれている。

今までの出会いがもたらしてくれた学びや気づきに、心から感謝の想いを表すと共に、その道をさらに前に進める為に、放射能によって傷ついた体をどのように修復させていけるかについて、語っていきたいと思う。

放射能というテーマは、とても大きいもの。

自分自身の中にある矛盾や葛藤、 不安や焦り、よいことをしているという自己陶酔、 よく見られたい自分、正論を押し付けようとする自分、今まで目を背けていた様々なものが浮き彫りになってきた。その度に落ち込んだり、自己嫌悪に落ち入ったりもした。

しかし、そのひとつひとつが、有り難いギフトでもある。

未来を創る可能性は無限であるということ、世界にはすでに、望む未来を創るための成功例や可能性が、様々な形で存在するということ、助け合い、支え合いの輪の広がりは、いつか世界を包み込んでいくだろうということ、それを実現するのは、ひとりひとりの想いや行動だということ。

お互いの立場を越えて話し合いを続け、お互いの関係性そのものを変化させていくことは、手間もかかるし、時間もかかる方法かもしれない。

世界中のすべてのいのちが幸せに暮らせる地球。

そのための道のりは長く険しいものかもしれない。

しかし、同じ未来を描いて歩みを進めている仲間の数は数え切れないことを、僕は知っている。

仲間たちとの出会いや助け合い、支え合い、分かち合う喜び、そのひとつひとつが祝福。

一歩進むごとに見えてくる新しい景色の美しさ。

生きているという喜び。

生かされている感謝。

未来への希望。

その道の先には、すべてのいのちが輝く、無限の未来が待っている。



被ばくの影響と微生物の営み

被ばくによって起こる腸壁細胞の破壊。

破壊された腸壁を再生する力が味噌にあるという。

被ばくによって起こる血液の酸化。

酸化した血液の酸化還元の力が味噌にあるという。

おなかをくつろげ、血を巡らし、百の毒を排出し、肌を潤し、骨を強くし、髪を黒くする力が味噌にあるという。

江戸時代の飛脚は味噌汁一杯で三里走ったという。

味噌汁は、ストレスによるうっ血や酸化を防ぎ、腸を温め、副交感神経優位のリラックス状態にしてくれる。

味噌の中に住んでいるコウジカビや乳酸菌、酵母たちは、消化そのものを助けてくれる。

みそ汁によって腸が整うと、様々な栄養素が十分に生成され、腸内善玉菌や酵素の働きによって、血液の質そのものも向上する。

味噌の中に含まれる酵素群やミネラル群、ビタミン群は、血液の精製や浄化、再生を司る働きを担う肝臓への負担も、軽減する。

人間を樹木に例えると、光合成によってガス交換を行っている葉は肺にあたり、幹は骨や筋肉にあたり、根にあたるのは腸。

根は地中深くに張り巡らされ、そこにある栄養吸収細胞が土壌から栄養や水分を吸収している。

そして人間の栄養吸収細胞は腸にある300万本ほどの絨毛(じゅうもう)に存在し、この絨毛300万本の合計で1500億個の栄養吸収細胞が存在している。

腸内に住む微生物たちは多種多様な酵素を使って、栄養素を分解・消化・吸収し、必要なものは利用し、不要なものは排泄しながら活動している。

腸の中で、体に入ってきた植物や動物が分解され、新たな生命活動のための材料になったり、エネルギーになったりしている。

腸は、体内の土。

だから昔は腸を月+土=肚と呼んだ。

土の中の発酵や、肚の中の消化と代謝を司っているのは微生物たち。

それら化学反応を促す媒介(なかだち)をしているのは微生物の保有する酵素。

私たちが日々何かを食べ、その栄養素を吸収し、エネルギーに転換する、その仕事をしているのは、体内に住むコウジカビや乳酸菌や酵母たち。

それら微生物たちが酵素を使っておこなう化学反応によって、様々な成分、栄養素、エネルギーが生まれ、運ばれ、利用されている。

三大栄養素といわれるタンパク質、炭水化物(糖質)、脂質は、酵素たちによって分解・消化され、吸収される。

取り入れられたタンパク質は、骨や細胞組織、粘膜や粘液の原料になる。

炭水化物は、細胞の中に住むミトコンドリアの栄養となる。

栄養をもらったミトコンドリアは、筋肉を動かす為の電気を生み出したり、栄養を運搬する為のエネルギーを作る。

脂質は、栄養として吸収されたり、細胞膜やホルモン、コラーゲンといった潤い成分に変換される。

食べたものを細かく分解・消化するのが「消化酵素」。

消化され体内に吸収された成分を使って、何を作ったり、何かを動かしたり、何かを整えたりするような生命活動全般をおこなうのが「代謝酵素」。

消化酵素は全部で24種類。

代謝酵素はおよそ2万種類。

2万種の代謝酵素の働きを挙げていったら果てしないことになる。
その一部を挙げておくと、

・血圧を調整する
・思考をする際の電気信号を伝達する
・筋肉を動かす
・動脈をほどよい硬さに保つ
・白血球、マクロファージなどが異物を退治する時におこなう化学反応を促す
・血液を浄化する
・胃酸をつくる
・損傷したDNAを修復する
・活性酸素を除去する

など。

代謝とは、生命の維持のために酵素が行うあらゆる化学反応の総称、つまり生命活動そのもの。

生きるということは、化学反応をし続けるということ。

消化と、代謝と、発酵、という名の様々な化学反応の連鎖。

「生きること」と「発酵すること」の境界線は曖昧。

味噌の中に住んでいるコウジカビは生き物であり、アミラーゼ、プロテアーゼ、リパーゼなどの酵素を持っている。

アミラーゼは炭水化物をブドウ糖や果糖、ショ糖や麦芽糖に変える。

プロテアーゼはタンパク質をアミノ酸に変える。
リパーゼは脂肪を脂肪酸やグリセリンに変える。

コウジカビの体内に生きる酵母は、産み出された糖をアルコールに変え、リパーゼが産みだした脂肪酸やグリセリンと結合させて脂肪酸エステルを産み出す。

同じくコウジカビの中で生きる乳酸菌は、アミラーゼが産みだした糖を分解して乳酸を産み出す。

味噌の中で、カビ、酵母、乳酸菌が化学反応を起こし続ける。

様々な化学反応の連鎖の中で、様々な栄養素が生成されていく。

ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンB12、ビタミンE、ビタミンK、カルシウム、亜鉛、葉酸、タンパク質、鉄、パントテン酸、飽和脂肪酸、食物繊維、銅、炭水化物、カリウム、リン、ナイアシン、脂質、マグネシウム、ナトリウム、多価不飽和脂肪酸、灰分、生命維持に不可欠な必須アミノ酸8種すべて。

腸内環境の中で繰り広げられる様々な化学反応による栄養やエネルギーの生成。
それと同じようなことが、味噌の中で繰り広げられている。

そして味噌の中の微生物たちは腸内に取り込まれると、そこに住む微生物たちと共に化学反応の連鎖を行っている。

健全な腸内で繰り広げられる百兆以上の菌達と酵母と酵素によるにぎやかな化学反応の連鎖が花畑のように見て、その様子「腸内フローラ(フローラ=叢、くさむら)」と名付けたのだろうか。

「すべての病気の原因はミネラルやビタミンなど特定の食物成分や繊維質の不足、または自然の防御菌(善玉菌)の叢(フローラ)など体の正常な活動に必要な防御物の不足から発生している。そうした事態になると悪玉菌が大腸に侵入し繁殖する。それによって生じた毒は血液を汚染し、体のすべての組織、腺、器官を徐々にむしばみ破壊してゆく」
  -アーバスノット・レイン

「長生きの人たちは主として自然の野菜や果物など、加工されていない食物を食べ、揚げ物や肉は少量にし、規則正しい生活と適度の運動(労働)をし、明るく静かな満ち足りた気持ちで暮らしている。腸が機能不全に陥れば、体の他の器官にも必ず伝染する。これが、腸から始まる病気のドミノ現象なのです。」
 -バーナード・ジェンセン

アーバスノット・レインは、イギリス国王の元お抱え外科医だった人。

彼の影響を大きく受けたカリフォルニアの医師、バーナード・ジェンセンは、チェルノブイリ原子力発電所事故の直後、ロシア政府の要請で半年間現地に滞在した最初の医師。

アーバスノット・レイン氏の意を継ぐ彼の診療は被爆者の解毒に大いに貢献し、多くの被爆者を救ったといわれる。

「自然在身」

この身に自然が宿っている。

この身体の中に、植物の枝や葉や花や根のような命が存在し、息づいている。

それぞれの器官が助け合い、協力しあっている。

自然のものを体内に入れる。

土から生まれたものを食べる。

土の上で働く。


有害物質、抗生物質、放射性物質が増えた世界を生きるならなおさら、土と繋がる暮らしが養生の要になる。



放射性物質と生きるということ

放射性物質の放つ強いエネルギー線は、細胞組織を破壊する力を持つ。

あらゆる物質が放つ電気と磁気を帯びたエネルギー線(総称して電磁線)を測る単位はev(エレクトロンボルト)。

人体を構成する物質の放つ電磁線は平均して4ev7ev

一方、ウラニウムに中性子線が当たる事によって起こる核分裂反応によって生まれるセシウム137Ce137)の放つ電磁線(放射線)のエネルギーは、約66ev

セシウムを体内に取り込むことで、人体を形成する細胞間でやりとりされているエネルギー量の数十万倍のインパクトのエネルギー線が照射され続けることになる。


そのインパクトが徐々に収まって、私たちの肉体が、細胞組織を破壊することなくそのエネルギーを受け取れるようになるまで、寿命がいくつあっても足りないくらい時間がかかる。

人体の中に取り込まれた放射性物質と呼ばれる微小鉱物達は、血中で、または内臓の中で、このような強いエネルギー線を放ちながら、分子レベルでインパクトを与えている。

たとえば分子を構成する陽子(+)と中性子(±)の周囲を回る自由電子(-)は、これら人工放射線を浴びることで吹き飛んでいく。

放射線を浴びた分子は、自由電子があることで保たれていたマイナスイオン状態からバランスを崩し、電位が不安定な状態のまま、周囲を急速に酸化させていく。

このような状態を、被ばくの人体に与える影響についての研究の世界では「フリーラジカル状態」と呼んでいる。

酸化は、短期においては「疲労」として実感できるし、長期においては「老い」の促進とも関連してくる。

疲れやすくなったり、病気に掛かりやすくなったり、動くことが億劫になったり、老いが進んだり、その人ごとの体質やライフスタイルによって、様々な形で影響が出てくる可能性がある。

放射性物質や、化学物質、抗生物質といった自然界に存在する物質とは異なった電位バランスで存在する物質が体内に取り込まれると、細胞組織の酸化を促進する影響を及ぼす。

こういった物質を解毒、分解、排泄する際に発生する活性酸素も、身体を構成する組織を急速に酸化させる要因になる。

セシウムは、ミネラルとしての性質がカリウムと似ているので、カリウムが溶け込みやすい血中に広がっていく。

強い放射線を放ちながら、血中の分子に働きかけ、フリーラジカル状態の物質を増やし続けながら、血液の酸化を促していく。

そして、血流に滞りがある箇所や、弱っている箇所、負担がかかっている箇所に、何らかの影響を及ぼしていく。

腎臓に、肝臓に、心臓に、脳に、甲状腺に、生殖機能に、遺伝機能に、免疫系に、様々な影響が及ぼされる可能性が認められている。

アメリカの研究機関や各種の学会の中では、放射性物質の内部被ばくによる影響を総称して「不定形性症候群」と呼んでいる。

形を定めることのできない、色々なことがおこっている。

ひとりひとりのライフスタイル、放射性物質以外に摂取しているもののバランス、内臓の状態などと結びつき、絡み合って、様々な影響が姿を現してくる。

放射性物質が大量に増えた世界の中では、今まで以上に酸化還元が必要だ。

酸化を還元するもの。

抗酸化作用のあるもの。

抗酸化ミネラル、アミノ酸、酵素、食物繊維、各種の善玉微生物やカビやビタミンを、もっと。

そして、酸化を促進するような物質の摂取を控え、酸化を促進するようなライフスタイルを改める事も必要になってくる。

セシウムを採っているその量が増えたなら、それを踏まえてバランスを取り直さなければ、今まで通りにはいかないだろう。

冷えやすくなる。

集中力が続かなくなる。

立っていられなくなる。

座っていられなくなる。

世界で最もたくさんの被ばく者を診てきたと言われる肥田舜太郎医師は、相談に来た患者さんが時間が経つに椅子に座っていられなくなり、最後は床につっぷしてしまうという事が相次いだと話している。

チェルノブイリ原発事故の後、近隣の住民の中に「被ばくしている状態で白砂糖を取ることで、放射線の影響が促進されるので、控えるように」という情報が流れた。

精白され、ミネラルの抜かれた白砂糖の持つ、体を冷やす力、酸化を促す力と放射性物質の力が組み合わさることで、その影響力が高まっていく。

精製食品全般、化学物質、抗生物質も、同様の力を持つ。

これらの力と放射性物質の持つ力が組み合わさることで、それぞれの働きがさらに促進される、このような効果を「カクテル効果」と呼ぶ。

私たちは、前よりセシウムを食べているし、吸っているし、飲んでいる。

そこにさらに白砂糖、化学物質、抗生物質を今まで通りに摂取していたら、血液はよりいっそう酸化し、体は冷え、気だるく重い状態になってしまう可能性がある。

いつまで続くかわからない福島第一原発事故後の収束作業に従事する人達の数は20172月の時点でのべ56万人(被ばく労働相談センター調べ)。

その数は、増え続けていく。

養生は、求められ続けていく。

ウラン核分裂によって産まれた、新しい鉱物達の激しい産声の響く新しい世界の中、せめて命の本能である「生存したい」という思いに対して、誠実に貢献する養生食を作り分け合うことを続けたいと思う。




たまり続けるプルトニウムと、被ばくの可能性

2006331日、青森県の下北半島の付け根に位置する六ヶ所村で、原発から出てくる使用済み燃料を加工してプルトニウムを製造する再処理工場が「アクティブ試験」が開始された。

日本にある53基(当時)から生み出される使用済み燃料は年間約1000トン。

そのうち800トンを1年間で処理し、8トンのプルトニウムを作り出す計画で進んでいる再処理計画。

この工場の本稼動の前に行う最終試験が、実際の使用済み燃料を使ってプルトニウム抽出を行う「アクティブ試験」。

試験とはいえ、実際の放射性物質の加工を行うこの実験の中身は、ジルコニウム合金で出来た筒の中に閉じ込められている放射性物質をせん断することで空気中に放出させ、せん断された放射性物質を化学溶液で溶かし、プルトニウムを抽出することと引き換えに膨大な量の高レベル放射性廃液を生み出すもの。

この高レベル放射性廃液は近づくと2秒でショック死するといわれるほどの放射能を帯びており、施設内で24時間体制で冷却しながら攪拌し続けていないと気化してしまい、気化が続くと廃液自体が爆発する可能性があり、1950年代にはロシアで同様の事故が起きており、この事故は「ウラル惨事」と呼ばれ国際放射能防護委員会からは『レベル5』の危険度の事故という認定を受けている。

このような厳重な管理を要する高レベル放射性廃液は、50年間の冷却の後に200度以下に安定させた後、高さ150センチほどのステンレス製のキャニスターという容器に注入、密閉され、その周りをコンクリートで固定したうえで、地下500メートル以深において100万年間保管される計画になっている。

この工場を動かすことで、原発を運転する以上の、新たに放射能汚染のリスクが生まれる。

再処理という事業は、日本の原子力政策の中で「核燃料サイクル計画」を行うことが基本とされていることの中に位置づけられている。

核燃料サイクル計画は、ウラン燃料を既存の軽水炉で核反応させた後、この時生み出される核分裂生成物(=使用済み核燃料)から、再処理工場でプルトニウムを取り出し、このプルトニウムを燃料とする高速増殖炉を動かす、という計画。

現在、この計画の柱となる事業である高速増殖炉の運転が可能かどうかをテストするための実験炉である「もんじゅ」が事故やトラブルの影響で稼動できない状態にある。


もし仮にこの「もんじゅ」が稼動できる状態になったとしても、そこから実証炉、商業炉をそれぞれ建設し、稼動させていくことができるまでに、まだまだ時間がかかるというのが今の状況。

このようにプルトニウムの行き先である高速増殖炉の技術が行き詰まりを見せている中で、前述のような放射能汚染のリスクを背負うことと引き換えに、再処理工場でのアクティブ試験が強行されてしまった。

また、九州の玄海原発を有する玄海町長がプルサーマル計画を受け入れる安全協定にサインをしたのが3月26日、そのすぐ後の3月28日に六ヶ所村長がアクティブ試験の安全協定にサインをし、3月31日に年度末すべりこみでアクティブ試験が始まったという流れがあった。

強引なまでに中央政府が地方行政をコントロールするるトップダウン型社会構造。

その威力を見せ付けられたという強い実感を覚えた出来事でもあった。

トップダウン型の組織は、事が順調に進まなくなった時、現場に問いが生まれた時、思考停止、機能停止を生む危険性を大きくはらんでいる。

もし事故が起きたら、という危険性は、トップダウン型の組織、およびそこに付き従う従順な社会にこそ、大きく存在する。

日本の原子力社会が、そのような、巨大な危険をはらんだものであることを、思い知る出来事であった。

今振り返ると2006年は、全国的な再処理反対運動、原発や再処理といったテーマへの反対だけではない多様なアクションが盛り上がりを見せ、社会運動が新しい局面に向かっていくきっかけになった年ではないかと思っている。

この年、鎌仲ひとみ監督製作のドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディー(六ラプ)」が全国展開され、それにともなって様々なイベント、ムーブメントが起ったた。

反対、賛成に分けるのではなく、そのどちらかの意見だけを聞くのではなく、全体を理解しよう、知ろう、動こう、関わろう、自分ごととして捉えよう、という空気が高まっていったことを肌で感じた。

そのような流れの中で僕自身、全国各地で長年原発に反対してきた人たちや、新たにこれらの問題に関心を寄せ始めた有機農家、環境活動家、自然的暮らしを営む人たちと出会っていった。

何かに抗議するだけでなく、エネルギー政策を見直して新しい提案をしていくこと、今の社会構造を支える自分たちの暮らしを見つめ直すこと、自分達の生きる世界を見直し新しくしていくためにできることをひとつひとつ実践する当事者になること。

映画の上映会や座談会や集会での出会いを通じて、人と人が集う場の存在意義、人と人とがそれぞれの思いを語らう場を作る意義を実感した。




人知れず、誰かに原発を押し付けている

山口県上関町、瀬戸内海に浮かぶ祝島。

人口300人ほどのこの島の対岸、「田ノ浦」海岸に新規の原発を作る計画がある。

漁業と農業を中心とする自給的な暮らし、自然と共に生きる暮らしを実践する島民達の前に、約30年前から突きつけられ続けているこの原発建設計画。

活動家でも運動家でもなく、いち生活者として力強く意思表示を続ける島民の声は、理屈や道徳や知識からではなく、彼らの生き方の根っこから発せられる命の声だと感じた。

彼らが孤立してもなお力強く意思表示を続けるあり方の土台には、地に足のついた自給的な暮らしがあると感じた。

僕はそれまで、原発が止めるためには、止めるための運動が必要だと思ってきた。

しかし祝島と出会ってから、その考えは大きく変わっていった。

上関町の中でも、山口県内でも、ひいては全国の中でも孤立してきた祝島の人たち。
その届かぬ声を、私達は聞いてこなかった。

彼らの声が聞こえてこないような暮らしを続けてきた。

聞こえてこなかった理由は、生き方の違い、考え方の違い、そして暮らし方の違いにあると感じる。

私達が自然の声を聞かず、自然と共に暮らす生活から遠ざかってしまったことで、自然と共に暮らす人たちの声が聞こえなくなってしまった。

「原発が止まらない原因は私達の暮らしにある」

頭ではわかっていたことだったが、実感出来ていなかったその現実。

原発に向き合って生きる人たちを孤立させることなく寄り添い続けていくには、その場に出向くことを続けたり、原発反対運動を続けることだけでなく、自分自身の生き方の根っこを見直して、彼らが暮らしの中でつながっているものと自分自身もつながりなおすことでこそ、本当の意味での連帯、連携、助け合いが実現するのだと思う。

祝島で1000年以上続く4年に一回の祭り「神舞(かんまい)」が行われた2008年。

この年の夏、山口県の二井知事(当時)が原発予定地である田ノ浦の埋め立て工事を中国電力(以下、中電)に認める「公有水面埋め立て免許」を発行した。

署名提出、申し入れ、様々なかたちで知事への面会を求める祝島島民に対して、一度も直接意見を聞くことなく、知事はこの大きな決断を行った。

そしてその翌年、20099月、中電は埋め立てのための準備工事を進め、2010年からは実際に田ノ浦海岸にブイを打ち、土砂を投入する工事を始めた。

この間、全国から集まった人たちの手によって工事の手を遅らせる直接行動が続けられましたが、工事を妨害したとして訴えられる裁判も引き起こされ、20112月には深夜に400人もの作業員・警備員を投入して強引な工事が進められた。

世界的にも「生物の多様性が残る貴重な場所(=生物多様性ホットスポット)」として認められ、様々な学会が「この海を守らなければいけない」と訴えているにも関わらず、十分な話し合いもないままに進められる建設計画。

計画を進める当事者である作業員、警備員、中電社員、山口県庁職員。

何を語りかけても対話に応じてくれない彼ら。

上からの指示通りに手続き、作業を続けるだけのように見える彼らを前に、届かぬ声を届けつづける僕達。

沖縄の辺野古で基地建設およびそのための調査活動を阻止するために続いている座り込みテントで「私達ができるのは工事をさせない時間稼ぎに過ぎない。本当にこの工事を止めるためには世論が変わらなければいけない。みなの意識が変わり、世論が変われば、この工事は止めることができる。」
という言葉を聞いた時のことを思い出した。

工事の進行を食い止めること、そして現場で起こっていることを伝え広めていくこと。

そして、自分達の暮らしを変えていくこと。

田ノ浦に残された美しい楽園のような海底に土砂が落とされたら、それを後から取り出しても、同じ風景は戻ってこない。

工事進展の動きを耳にするたびに、間に合わないかもしれない、食い止められないかもしれない、という気持ちが募っていった。

そして、そんな矢先に、原発事故が起こった。




福島第一原発事故

2011年3月11日に起こった福島第一原発事故の結果、大気、水、土は汚染され、多くの命が被ばくの危険にさらされています。

それにもかかわらず、高レベル放射能汚染地帯からの避難・疎開、健康管理、放射線量の測定とデータの共有、食品の安全管理など、必要な対応・対策のどれも不十分なまま今に至っているというところが現実です。

「政府が情報を隠蔽している」「マスメディアが本当のことを伝えてくれない」という声が飛び交う中で、自分たちで情報を集め、行動を起こそうとすると「心配しすぎだ」「親が抱える不安が子どもに悪影響を及ぼす」というバッシングの元に、行動や発言が規制されるような雰囲気が蔓延しているという話を聞く機会も少なくありません。

このような状況が多くの地域に共通している現状ではないかと実感します。

日本の原子力開発は主にアメリカからの外圧によって始まりました。

そして湯川秀樹を始めとする学者からの「日本で原子力開発を始めるには慎重さが必要」という声を押しのけて、政治主導で始まった原子力開発。

アメリカからの指示の元、トップダウン型の構造で進められる軍隊組織のような原子力産業。

それによって地方自治体は今回のような事故が起きても独自の判断、独自の行動が取れない状況になっています。

今回の原発事故が起きる前、アジア諸国はアメリカからの要望で原子力開発に踏み出そうとしていました。現場で実際に原発を建設するのは主に日本の企業です。

この計画は事故によってくつがえされることなく、今も強固に原発建設を進めるための圧力が現地にかかり続けています。

このような状況の中、世界各国の市民から「日本政府は暴走している」という声を聞きます。

そして同時に「日本国民は何を考えているんだ」という声も聞こえてきます。

私たち日本国民は今、世界の中で孤立しているのではないでしょうか。

僕はこの孤立した状況の中で、日本人だけの連帯で適切な放射能対策、エネルギー政策の転換は難しいと実感しています。

1986年のチェルノブイリでの事故が起こった後に各国政府、各機関、住民はどのように反応し、どのような対策をとっていったのか?

ベラルーシ、ウクライナでは、地道に状況の観察・測定を実践しそのデータを蓄積しています。

現状を一つ一つ丁寧に測定し、データを蓄積し、どう対処していけばいいかをまとめていく。

この作業が日本でも必要であり、同時に日本政府の対応はそれとは全く逆の「データを隠す」という方向に向かっています。

日本では、市民測定所のネットワークが広がっていますが、この取り組みを生活の中で生かせるものに落とし込んでいくには、数値の読み方や解釈の仕方などの知識を共有していく事も重要です。

どの程度の機器だと、どのような工夫をすればより正確な数値が得られるのか。
安全だという思い込み、危ないという思い込み、どちらも思考停止状態を作ってしまいます。

今は急いで答を探すことよりも、丁寧な観察、測定、情報共有、そして実践の積み重ねが必要です。

子どもの体調などについても同様に、丁寧な観察が大事です。

どんな現実にも「こうでなければいけない」というバイアスを過剰にかけることなく、一つ一つを丁寧に。測定、観察、記録、シェアを積み上げることが大切でしょう。




疎開保養、転地療法

福島第一原発事故後の日々の体験を通じて、体験を通じて、頭で考えていたことをなぜ実行してこなかったんだと後悔するような気持ちを何度も味わってきました。

たとえば放射能汚染地帯から移住できない人たちに送るべき、梅干やどくだみや味噌や玄米を、自分が作ってこなかったこと、いざという時に送ってあげられない自分に歯がゆさを感じました。

また、物質的なものだけでなく、放射能を体から排出する食品や免疫力を向上させるメソッド(食べ方、解毒法、呼吸法、自力整体、快医学、ヨガ、気功など)を共有するための情報源も自給できていないし、それらの情報を共有するためのメディアの自給も不十分。

自分の中にあった「このような事故が起こらないように」という気持ちがいつの間にか「このような事故が起こるという可能性から目を背けさせていたのだと痛感しています。
起こってしまった現実にしっかり目を向け、ある意味でしっかり絶望することから、その絶望の地の淵から這い上がろうとすることから未来を見据えていくことが、僕にとっての「脱依存」であり「自給への道」です。

放射能汚染が広がる中で、汚染の現実以上に、自分の知り合いや友人が政府や行政や東電に見捨てられていく現実がショックでした。そしてある意味で腹が決まりました。

「自分たちでサバイバルしていかなければいけない」

このことが腑に落ちたことは、絶望の淵で見た希望の光でした。

2012年の夏に福島県内の母子を招待して岐阜県の山間部で保養キャンプを開催しました。チェルノブイリ原発事故と福島原発事故の大きな違いは「起こってしまった現実の受け止め方」にあると感じます。

もう終わってしまった事のように、もっとひどい場合は何もなかったかのように、今も続く歴史上最大級の放射能汚染事故のことが片付けられてしまっています。

子供にマスクをさせるだけで「あの家は心配派」と言われ、転地保養にでかけるだけで「逃げるのか」と後ろ指をさされるような状況が続いています。

このような状況に追い込んでいる原因は、政府やメディアだけでなく、日常の中で今起こっていることを語らない私たちの中にあります。

誰がどんなに安全だと言おうと、チェルノブイリ周辺には今も白血病や心臓・脳の疾患やがんの発症率が増え続けているのは事実です。

そして福島県内のみならず多くの地域の中に、不安や心配を抱える人たちが生きています。

地域と地域の垣根を越え、感性や立場の違いを越え、声なき声に愛を持って耳を傾け、いつまでも寄り添っていけたらと思います。

放射能の身体への影響はわかりません。わからないからこそ、全身全霊で向き合いたいと思います。

原発からどれくらいの距離に暮らしていようと「私には関係ない」とはいえない状況であるというのが現実で、少しでも多くの人たちが、放射能汚染の被害を少しでも遠ざけて暮らせるよう、何ができるかを考え、実行し続ける時だと思います。

自分達の感じていることを正直に表現できない、悩みを聞いてもらうこともできない。

そんな状況の中で地域を越えて、新たな出会いと安らぎの時間を楽しんでいただくこと自体が、物理的な放射能対策と同じかそれ以上に大切なことだと感じ、身体の健康と心の健康、そして健康的な人間関係を創造していくことを目指して、2012年から疎開保養キャンプ「海旅Camp」を仲間と立ち上げ、毎年夏に1週間ほどのキャンプを継続している。




疎開保養、転地療法の意義

・子供の健康のため1~放射能の排出・細胞の修復~
チェルノブイリ原発事故から27年が経過した今も、たくさんの子供たちが日本全国に「転地療法」「疎開保養」に来ています。一定期間、放射能汚染の少ない地域で安全な食べ物を摂っていると、体内の放射性物質が排出されたり、放射性物質によって傷ついた遺伝子の修復されるスピードが上がることがわかっています。

・子供の健康のため2~健やかな心身つくり~
福島県内を始めとする多くの場所で、屋外で子供を遊ばせることができない(または屋外で遊ぶ時間が制限される)という状況があります。太陽の光を浴びて、外の空気を思いっきり吸って、思う存分走り回る。子供が健やかに育つための当たり前の生活が奪われてしまっています。山で、海で、川で、思いっきり遊ばせたい。子供たちの心と体を解放させたい。そんな思いから、私たちは自然豊かな山の中での保養を企画しています。

・お母さんの健康のため
放射能を心配するお母さんたちが「風評被害になるから子供にマスクをつけさせるな」と言われたり、保養に出るだけで「逃げるのか」と後ろ指を差されるような状況が続いています。子供の命を守ろうと行動を続けることが精神的な孤立を生んでしまうような悲しい現実の中で、子供の健康を守ろうとがんばるお母さんたちは精神的にも肉体的にも消耗してしまっています。
放射能への心配を口にできる環境、差別やいじめのようなプレッシャーを感じることのない環境の中でゆっくりしてもらいたい。お母さんたちに笑顔を取り戻してほしい。そんな願いから私たちのキャンプは「母笑み」という言葉を大切にしています。お母さんに笑顔が戻ることで、子供たちも緊張から開放され健やかに育つことができると、私たちは考えます。

・地域を越えた友達づくり
マスメディアや政府の対応を見るにつけ、残念ながら福島原発事故は収束したかのように報じられ、その報道を信じる人が増え続けているようです。地域間にある温度差は日に日に広がっています。しかし実際には、たくさんの人たちが放射能汚染と向き合い、日々を葛藤の中で暮らしています。チェルノブイリ周辺の現状を見れば、放射能と向き合う暮らしが長期的に続くということが予測され、地域を越えた助け合いはこれからますます重要になってきます。地域と地域の間に横たわる温度差を解消するには、直接つながることが一番です。保養キャンプという機会を作ることで、愛知・岐阜などに暮らす人たちが改めて放射能汚染の現実を肌で感じ、同じリアリティを共有しあい、ひとりひとりが生活の中で「自分には何ができるか」を考え続け、つながりあって生きていくことを続けていくための出会いの場としても、私たちは保養キャンプの機会を大切にしています。放射能対策になるような食材を融通しあったり、子供の健康のための情報を交換し合ったり、つながりあえば出来ることはたくさんあります。皆で寝食を共にし、胸の内を語り合い、何かあったらすぐに助け合えるような真の友達を作っていくことが、これからの時代を生きていくうえでの目に見えない大きな力になっていくと信じています。

・明るく健やかに生きていくための知恵を身につける
チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシやウクライナの中には「強制移住区域」「移住権利区域」「放射能管理強化区域」と細かい区分けがされ、それぞれの地域の中での暮らしをサポートする体制が出来つつあるといいます。しかし日本においては住民が納得するような適切な区分けは存在せず、放射能と向き合って生きる術も十分に共有されているとはいえません。
体内に取り込まれた放射能を排出する力を持つといわれる梅干や味噌、どくだみや玄米といった食材についての知識の共有、それらの食品の作り方や入手方法、気功や整体、陰陽五行などの知恵について学ぶ機会を大切にしていきたいと考えます。
「病気にならないようにする」だけでなく、もっと前向きに、これからの世界をよりよく生きていくことや心身の健康を今まで以上に高めていくといったことをテーマに、知恵の共有や整体、ヨガ、味噌作り、東洋医学に基づく食事養生といった実践的な学びの場を分かち合うことを大切にしています。

・受け入れ地域の中のつながり作り
放射能に向き合うこと、子供たちのために出来ることを考え、実践すること。
福島原発からの距離が遠くなればなるほど、そのような実践を続ける人たちの数は少なくなっているように感じます。ここにも孤立という現実が横たわっています。同じ思いを持ち、自分に何が出来るか考える人たちが出会い、具体的な行動の場を共にする機会を得ることで、継続的に福島原発後の世界をよりよいものにするためのつながりが、地域の中に生まれ、育っていくと考えます。福島の子供たち、お母さんたちを受け入れる地域の中に、放射能と向き合う人たちのつながりを作っていくことも、保養キャンプ開催の大きな意味であると考えます。

・新しいライフスタイルをデザインする
「海旅キャンプ」はネガティブな出来事に対する反応ではなく、新しく明るい未来に向きあう希望のキャンプです。支援者、被災者、参加者、スタッフという垣根を越えて、新しい時代を生きる仲間同士として、これからの暮らしのあり方を共に模索し、お互いの経験や知恵を分かち合っていくことで、新しい世界を共に作っていけたらと願っています。



原発事故後の食と暮らし

54基もの原発を抱え、微量ながらも放射能が出続ける環境に生きる中で今までも被ばくを自覚してきましたが、福島第一原発事故後はさらに心身への負担が大きい環境になったと実感します。 

自己免疫力、修復力、解毒力を高めていくことと同時に、その根底に自分の肉体に対する深い愛、敬意、感謝の気持ちを今まで以上に高めて、心から慈しんでいく生き方の大切さを実感しています。

私たちが自分自身の体の取り扱い方を学び、放射能汚染の増加し続ける世界でいかに生きていくかの術を身をもって理解することこそが、これから生まれてくる子供たちに受け継ぐべき知恵となるのだと自覚し、引き続き真摯に自分の心身と付き合っていきたいと思います。

とりわけ内臓への放射能のダメージを助ける食が日本の伝統の中にあることに着目しています。

鉄火味噌、黒炒り玄米、梅干黒焼き、梅醤番茶、玄米、梅干、どくだみ、よもぎ。

丹田呼吸、自力整体、ヨガ、マッサージ。

食や身体術を通じて心身と内からも外からも丁寧に向き合いながら、自分自身としっかりつながりなおすことが、自然との向き合い方や子供たちとの向き合い方を学んでいくことにつながると感じます。

日本に伝わる伝統的な養生食の多くは、家庭で、地域で自給することができます。

今も少しずつではありますが、福島・宮城・茨城に暮らす知り合いに、佐世保、熊本、和歌山などで作った養生品を送り届けるような取り組みを始めていますが、これらの取り組みは始まったばかりです。

これからじっくり長期的な視点をもって、各地にいる仲間たちと協力し合いながら、血の通ったネットワークを大切に進めていけたらと思います。 


 
原発事故と社会、そしてメディア

政治、経済、エネルギー、食、教育、医療、メディア、、、どんな分野を掘り下げてみても、私たちがいかに既存 のシステムに依存して思考停止しながら生きているかに思い至ります。


現実に直接踏み込んでいく、関わっていく、という直接的な態度、依存から脱却する具体的な行動だけが、依存的な意識を自立的な意識に切り替え、望む世界を作っていくプロセスになりうるのだということを実感します。

たとえば手前味噌を作ってみると「え、こんなに簡単だったの?」と気づき、夢(幻想・魔法)から覚めたような気分になります。

電気を初めて自給した時も、政治家に初めて会いに行った時も、同じような感覚を覚えました。
そして、実際に魔法のようなものは存在します。

それはプロパガンダ、洗脳、マインドコントロール、軍隊教育(および従順な労働者を作り出す現代教育)、情報操作、植民地政策などです。

たとえば先進国がハワイ、ポリネシア、戦後の日本にほどこしてきた占領政策は「動物園政策」と呼ばれ、自給力を奪い、お金に憧れさせ、土地を耕すことをやめさせていく政策です。

お金があれば何でもできる(夢がかなう。権力者になれる。豊かになれる。など)の夢を与え、教育や本、映画、漫画、などで刷り込みを施していきます。自給できなくなると「お金がなければ生きていけない」という精神状態が生まれ、その状態に慣れていくと、依存から抜け出せなくなっていきます。

どんなに白砂糖の危険性を伝えても、コンビニでお菓子を買うことを辞められない人たちが多いのと同じ構造です。

お金を作り出し、管理する人々の傘下に入れ、逃れられない依存型(中毒型)のメンタルを強化していく政策はポリネシア、ハワイ、日本などの先住民族社会を取り込んでいき、今も健在です。

味噌を仕込み、電気を自給し、塩を炊き、必要な情報を本にまとめる。

具体的な行為の積み重ねだけが希望の光をより強くするのだと実感し、放射能と向き合うことが、実は生命力を高めていくことに直結する行為であるということに思い至りました。



自給の意味と可能性を広げていく

自給=田畑を耕すこと、と限定的に捉えて「私にはできない」というブレーキをかけてしまう。

そんな雰囲気が潜在的に蔓延しているように感じました。
しかし本当に「自給=田畑を耕すこと」なのでしょうか。

私たちは田畑の産物のみで生きているわけではありません。

味噌や醤油のような加工品。

それらを流通させるマーケット。

それらの価値を伝えるメディア、教育。

それらもすべて、自給することができます。

都市に暮らす人は、まずはマーケットの自給、メディアの自給から「自給的な暮らし」を始めることができます。

そのほか、手仕事の場の自給、介護の自給、ネットワークの自給など、一次産業の自給、二次産業の自給、三次産業の自給。あらゆる角度から自給的暮らしを始めることができます。

何か一つでも自給を始めてみる、という行為そのものが、精神的な自立、そこから派生する安心感、自信、自立心、自分で考える心を育み、高めることにつながります。

そのような実践をする人たちとの出会いと学びとコラボレーション。

それは、原発に反対する意を表し続ける中で得られた大きなギフトであり、未来への地図でもあります。

私たちの考え方の多くは、教育やメディアによって作られたもの。

と同時に、それらを意識的に点検し、自分たちを再教育していく必要性を実感します。

どんなニュースに触れても、そのニュースを読み解く力がなければ、その真偽の判断は難しいものとなります。「マスコミが嘘を言っている気がする」と思い立っても、「では実際はどうなのか」という答を創造できなければ、マスコミに批判を投げるだけで終わってしまいます。

ニュースを読み解くための基礎知識は、当然マスメディアからは流れてこないし、ネットをサーフすることで蓄積できるものでもないでしょう。

じっくりと腰をすえて、判断の土台になるような、世界観を育てるような基礎知識を身につけることも、一つの自給的行為であると考えます。

人は成長や進化を喜びとする生き物であると実感します。

そして本当の成長とは「強くなること」でなく、命の安らぎや生への感謝、謙虚さのような、柔らかな感覚を育むことであると感じます。

そして、本当の自給的暮らしとは、命の力を育むこと、高めることに直結するようなあり方にあると感じます。

ただ「死なないようにする」だけでなく、お互いを高めあい、育みあうような関係性を作っていく社会を支える土台が「自給的に生きること」ではないかと思います。
誰かにやってもらうのではなく、一緒にやっていくこと。

生産者に田畑の仕事を任せきりにするだけでなく、その価値を理解し、その価値を伝えることができれば、そのありかたは「生産者と共に生きている実感」を育んでいくと思います。

どれだけのことを出来ているかで自分の価値を図るのではなく、何を大事にしているのかを少しずつでも形にしていく、その歩みこそが尊い価値であり、成果や結果ではなく「どのような道を歩んでいるのか」のプロセスが大事です。

何が出来ているか、何が出来ていないかで自分や他人を裁くのではなく、「今どこにいて、どこに向かって生きようとしているのか」を自分なりに表現して生きることを、今の自分や他人をあるがまま受け入れながら体現していけたらと思います。

今大事なのは「強さ」ではなく「弱い自分たちを受け入れ、育みあう関係」ではないかと思うのです。

やさしく、弱く、おだやかに、依存から自立への道を共に歩めたらと、心から願っています。



世界の被ばくと原発のこれから

世界ヒバクシャネットワーク。

ノーニュークス・アジアネットワーク。

新たなヒバクシャとなった私達日本人は、一方で世界の非核の連帯の中で孤立をしている。

原発を使っている時点で事故が起きようが起きまいが、ウラン採掘の最初の時点で放射能汚染は広がっている。

世界の被曝者の3/4はウラン鉱山周辺の住民によるもの。

今の日本で被曝と健康疾患に因果関係を認めようとしないのは、今それを認めてしまったら、ウラン鉱山周辺の住民、大気圏核実験の影響を受けた住民、各技術利用のあらゆるプロセスの中で生まれた放射能由来の健康疾患の保障をしなければならなくなるため。

世界には補償を求め続けているアボリジニー、アメリカインディアンなどの先住民族が多数存在している。

私たちが被曝するしない、事故が起きる起きない関係なく、こういった事実を容認した上で原発を使っていくべきなのかどうなのかということを考えないといけない。

福島原発事故について、当事者出ない人はいない。

自分が当事者だと自覚を持っているみなで、新しい社会を作っていく。

地域を越えた連帯、時代を越えた連帯を。

チェルノブイリ原発事故などから学んできた世界の知恵を受け継ぎ、私たちの実践を積み重ねて、次世代につないでいく。

私たちが平穏と安らぎの中で生きていけますように。
そのための支え合いを育んでいけますように。

私たちの生きている世界は、完璧で完全で、調和しているということを前提に、世界をあるがまま見つめ、素直に、正直に関わって生きていくことができればと思います。
 
ひとりひとりが宇宙の愛を体現するプロセスとして人生を生きているということを前提に、この成長する宇宙の一部であり全体であるわたしたちを高めあっていけたらと思います。


☆このあとに続けて書く予定のこと
味噌の歴史、効能、作り方、食べ方。

梅干し、野草のこと。

コミュニティ作りが、社会を作り、世界を変える力になるということ。

など。




☆事前購入申し込みのこと

事前にお金を送ってくれた方に、その額に合わせて完成品を相当数送ります。

興味のある方、事前にお金を送るよという方、以下のメールアドレスに気軽に連絡ください。

情報や案内を随時送らせて頂きます。

fukikobo@gmail.com(冨田貴史)
080-6947-2491

・メールで送ってほしい情報
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送りたい金額(あれば)
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完成予定は、7月中旬前後です。

どうぞ宜しくお願いします!
冨田貴史 拝